心が辛いと感じる時の「割り切る技術」

 

handshake

仕事をしていると、よく耳にする「割り切る」という言葉。

「仕事なんだから、割り切って考えなさい。」
「あの人が嫌いなのは分かるけど、仕事なんだから割り切らないと。」

こんなフレーズ、よく耳にしますよね。
皆さん「割り切る」という言葉は日常生活でよく使われるものと思われます。
個人的な感情を抑えて、物事をドライにとらえようとする時に使われることが多いです。

でも、ちょっと待ってください。
簡単に言うけど、そもそも皆さん、そんなに楽に割り切れますか?

割り切ることが苦手な人って意外と多いのではないでしょうか。
そんな方に、割り切り方にも技術があることをご説明したいと思います。

 

苦手な人ほど意識したい「割り切る技術」

無理に割り切る必要はない

結論から申し上げますと、無理に割り切る必要はありません

いきなり真逆な事を言ってしまいましたが、「無理に」というところがポイントです。

大抵、無理に割り切ることを自分に強いるシチュエーションというのは、「他人の意見」に流されていることが多いです。

ふわっとした例ですが、あなたの学校、あるいは会社、同じ町内に、あなたとは全くそりの合わない人がいたとします。
あなたはその人とできるだけ離れていたいと思うのに、事あるごとにその人はあなたに余計なお節介やアドバイス、時には説教じみた事を言う人だとしましょう。

そんな人があなたのそばにずっといるだけでストレスを感じますよね。
で、周囲の他の人に相談したり愚痴をもらした場合、周囲の人は好き勝手なことを言い始めます。

 

「それはあなたの為に言っているんだからと割り切って我慢しないと。」

「あの人誰に対してもああいう態度なんだから、気にしないで割り切ってしまえば?」

 

みなさんよかれと思ってあなたに「割り切れ」と言ってくれているはずです。
でも、あなたの真の気持ちなんて誰も分かりはしません。他人ですから。

このような助言を無理に受け入れようとしても、そう簡単に割り切ることなど出来ません。

 

割り切る主体は他人ではなく「自分」

ここで重要なのは、割り切る主体が誰か?という事です。

他人の助言で「割り切れ」と言われても、その裏には助言をくれた人の主観が入っています。
その人の都合が良いから「割り切れ」と言っているかもしれないのです。

あまり疑心暗鬼になる必要もありませんが、他人は他人と思うくらいのほうが良いでしょう。
割り切ることが必要なシチュエーションになったとしても、割り切る主体はあくまで「自分」、
あなたであることを忘れないでください。

自分が主体となって考えると、割り切ることがだいぶ楽になります。

先程の例で、どうしても疎ましく感じる同級生、同僚、ご近所さんに対しても、まず考えていただきたいのは、あなたにとって「割り切ってまでもお付き合いをするに値する人なのか?」という事です。
あなたにとって、何かしらのメリットが特に無い人であれば、そもそも割り切る必要もないわけです。

とりたててメリットが無いのであれば、表面的につくろうことすらせず、「ごめんなさい、あなたの事は苦手なんだ。」という態度を正直に出してしまって良いのです。
「そんな事したら向こうが何て思うか?」と不安になる気持ちもわかりますが、
すでにあなたが気分を害されているので、あなたが自分の気持ちをもっと守ってあげようとするのは普通の事ですよ。

ただ、あなた自身が「待てよ、この人と表面上だけでも上手くやっておけば、こういうメリットがあるな。」と思えることが1つでもあるのなら、「割り切る」ことはむしろあなたの人生の「戦略」になります。
自分自身が主体となって考えた結果の「割り切り」は全然アリだと思います。

 

自分にウソをついていませんか?

先程もお話したように、自分が主体となって割り切る行為に明確な目的があるのなら、その割り切りは他人に促されて行う割り切りよりも上手くいくはずです。

日本人に多くみられますが、「自分にウソをつく」ことは自らの首を絞めることになります。

例えば、勤めている会社で、本来自分のやりたかった仕事のチャンスがなく、毎日歯がゆい気持ちで仕事をしていたとします。

酒の席で、同僚にこの事を愚痴ったとしても、大体の場合「我慢して割り切る」ことを勧められるのではないでしょうか。この同僚のすすめに流されて割り切ろうとしても、おそらく上手く割り切ることはできないでしょう。

また、一見自分の意思で割り切ろうとするケースにも注意が必要です。
例えば、自分の家族を理由にするケース。

今の会社で仕事を続けるモチベーションなどとっくに無いのに、家族の生活のために現状のまま我慢して割り切ろうとするケースがそれです。
確かに今の会社を辞めて転職するとなった場合に、今の生活を維持できるかという不安はありますよね。そこで自分の心にフタをして、家族のためにという大義名分を自分に背負わせるわけです。

はたから見れば「とても家族思いな人」って評価をされそうですが、これも自分が主体ではないのです。
家族という「他人」が主体となっています。

家族優先を自分で判断した、とは言っても、家族一人一人に直接聞いたのでしょうか?
多くの場合、「家族を優先するのが常識ではないか」という思考に囚われているだけのように思えます。

あなたの家族は、果たしてあなたが自分にウソをついてまで、自分の嫌いな仕事を続けることを嬉しく思いますかね?
(過去にあなたが家族にひどい仕打ちをしたのなら話は別ですが)
同じ家に住む家族が、イヤイヤ仕事を続けて、それが「あなたたち家族のために仕方なくやっているんだ」と言われても困りますよね?

自分にウソをつく、という行為はマイナスの結果しかもたらしません。

駄目なときは流れに身を任せてもいい

そうは言っても、今の環境をすぐには変えられないと思う方も多いでしょう。
じゃあ、やっぱり無理にでも割り切って現状を受け入れるしかないのでしょうか?

おそらく、その割り切りって、自分を良く見せるための手段でしかないと思われます。
嫌だけど、今の環境で我慢してでも自分を良く見せておけばとりあえず現状は維持できる、という打算からくる割り切りという事です。

そこで、いっその事「自分を良くみせる」ことをやめてしまってはどうでしょう?
周囲から良く見えなくても、駄目な人だと思われても、あえて流れに身を任せてしまってはどうでしょうか?

ここで私の経験をお話しますと、
以前いた会社では、自分が希望している仕事をすることが出来ず、悶々とした日々を過ごしていました。
それでも、家族もいて、持ち家の住宅ローンもまだまだ残った状態で、どうにか社内で生き残っていく必要があると思っていました。

自分の心に完全に「フタ」をして、望んでもいない仕事で成果を上げることだけを考えて仕事を続けました。
その結果、周囲の人間ともコミュニケーションがうまくいかなくなり、とうとう休職する羽目になりました。
しかも2回も。

休職中、ひたすら心療内科に通って、あとは何をするでもなく街をさまよう日々。
子供も小さかったので、休職中も会社に勤めているフリをしていました。
この上なく苦痛な期間でしたね。

休職後、私がとった行動は「流れに身を任せる」でした。
心身ボロボロになって、これ以上ダメージを受けると本当に社会復帰できなくなると本能的に感じたので、「評価はどうでもいいからとにかく生きよう」に考え方を変えてみたのです。

今思い出すと、なんとももどかしい期間ではありましたが、これもひとつの「割り切り」でした。
従順な社員であることをやめ、いい人であることもやめて、柳の木の枝のように風の流れにただただ身をまかせる日々。

周囲は影でいろいろ揶揄していたのかもしれません。
しかし、この割り切りによって、心のダメージの回復は徐々に早まっていきました。

このように、何をやっても駄目に思える時は、いっそのこと流れに身を任せる「割り切り」も有効な手段となるのです。

結局、この時の割り切りが、周囲を気にしないメンタルを少しだけ成長させることにつながって、私は転職することに対するハードルをほとんど感じなくなりました。
この後、半年ほどの転職活動を経て、現在ではフリーランスのITエンジニアとして働いています。
休職していた頃から比べると信じられない変化です。

 

まとめ

割り切ることが苦手と思っている皆さんに私がお伝えしたいのは、

あくまで自分主体で割り切ろう

という事です。

あなたの心のありようは、あなたにしか分かりません。
他人の言う通りに割り切ろうとしても、しっくりこないはずです。

あくまで自分の心を最優先にして割り切ることを考えてみましょう。

そして、割り切り方にも色々な方法があるという事も忘れずに。
時には流れに身を任せることも許してあげましょう。
それも1つの割り切り方です。

割り切り方を駆使して、人生をより良いものにしていきましょう。

 

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