ラグビーW杯を見て「人間」を見直そうと思った

 

9月20日の開幕戦から1か月以上、日本を熱狂させたラグビーW杯。
南アフリカの優勝で幕を閉じました。強かったですね。
4年前、よく日本はこのチームに勝てたなと思うくらいの強さでした。

遅ればせながら、私もすっかりラグビーの面白さにハマってしまった一人です。
にわかファンと言われても仕方ありません。
いいんです、誰だって最初はにわかファンなのだから。

 

それはそうと、今大会は日本がホスト国だった訳ですが、日本代表の強さは日本人のみならず、全世界が認めたと思います。前回の南アフリカ戦の勝利が、フロックでも何でもなかったことを今大会全勝で予選リーグを突破したことで証明してみせました。

興味深いのは、他の競技と違い、ラグビー日本代表は様々な国をルーツに持つ選手が、皆日の丸を背負って戦いたい一心で集まっている事です。
ルーツも人種も超えたところで、1つのチームになっている日本代表を見ていると、隣国との関係が上手くいっていない日本に無言のメッセージを送っているようにも感じます。

 

あまり感情的になるつもりもありませんが、W杯に参加した全ての国の選手を見ていると、一人一人がチームのためにプレーし、対戦相手にも敬意をもって接するという事が当たり前に行われていることが素晴らしいなと感じました。
決して日本人選手のみに限った美談ではないのです。

試合中はどんなにエキサイトしても、審判に対しては絶対的な存在としてそのジャッジに従い、ノーサイドとなればお互いの国の選手が代わる代わるに健闘をたたえ合う。
スタンドのファンに対しても、ホスト国である日本への配慮か、どの国の選手も必ず一礼してグラウンドを去る。
2002年のサッカーW杯ではこのような光景は記憶にありません。

 

サッカーを悪く言うつもりはありませんが、審判や対戦相手への敬意の表し方という点では明らかにラグビーとサッカーとでは違います。私も含め、サッカー文化にようやくなじんできた日本人は、「綺麗事やフェアプレーだけでは勝負に勝てない」というマインドが少しずつ頭に沁みついてきた頃だと思うのです。
Jリーグ発足前の日本のサッカーであれば、戦略として勝利の為の遅延行為などやらなかったはずですが、今ではすっかり常套手段として定着しています。

そんな中、ラグビーW杯を間近で見て、世界のラグビー文化を体感した日本人にとっては、ラグビーというスポーツの「潔さ」にハッとさせられたのではないでしょうか。
あれ、日本人って昔はこうだったはずだよな、という感じの気づき。

プレーの随所に「献身」を感じさせられるラグビーには、どこかで日本人が失いつつあった何かを気づかせてくれた、そんな気がしてなりません。

 

また、プレー以外のところでもラガーマンの献身を感じる出来事がありました。
大会中に発生した台風19号の影響によって、宮城県釜石市で開催予定だったナミビア対カナダ戦が中止となりました。
カナダ代表は一次リーグ敗退が決定していたので、中止の段階で帰国していてもおかしくありませんでした。
ですが、彼らは被災した釜石の土砂や泥を撤去するボランティア活動に参加したのです。

最近では、何かにつけて海外のスポーツ大会等のイベントで、献身的に清掃をする日本人が世界で賞賛されているといったニュースをこぞって取り上げる風潮に、少しうんざりしていました。過度に日本人を美化する雰囲気がどうも受け入れらないからです。ただの自己満足ではないか、そんな風に思えていました。

今回のカナダ代表のボランティア活動を知って、やはり日本人だからという事ではなく、目の前で困っている人がいれば、どんな人であれ手助けをしたいと思う気持ちに変わりはない、という思いに確信が持てました。
人間も案外捨てたものではない、そうラグビーが思わせてくれたのです。

 

ラグビーは15人が1チームとなって行いますが、フォワードとバックス、ここまで役割が異なるスポーツも珍しいなと感じました。各選手に求められる資質も、ポジションによってずいぶん違います。
いくら俊敏さがあっても華奢な選手ではフォワードは務まらないし、闘志あふれる選手であっても正確なキック、突き抜けるスピードがなければバックスには不向きです。

国歌斉唱のときに、一列に並んでいると選手それぞれの特徴が見事にバラバラなのがよく分かります。
体が小さいのは日本のスクラムハーフだけかと思いきや、どの国のスクラムハーフも負けずに小柄でした。
特に、南アフリカのデクラーク選手は、確か170㎝そこそこの身長であるにもかかわらず、時に自分よりはるかに大きい選手に勇猛果敢にタックルします。ヒートアップした対戦相手の大男に胸ぐらをつかまれても決してひるまない姿勢は凄みすら感じました。

1つのチームで、それぞれの選手が自分の長所をフルに生かしつつ、足りない部分は他の選手がサポートするのです。
15の個性が1つの強いチームを作り上げる姿は、1つの国を支える国民のようにも思えるわけです。

 

どちらかと言うと、日本人は集団でいる時に「同質性」を求める傾向があります。
ただ、それが時にはマイナスに働くときがあります。イジメはその最たる例だと思います。
異質な人間に拒否反応を示して、排除しようとするからイジメは生まれます。

ラグビーは15人の選手がそれぞれのポジションにあわせた「個性」を持っています。
みんな違うのですが、その違いを皆で受け入れて、認めた上で1つになる。
「多様性」という言葉がすごくしっくりくるスポーツだなと思うのです。

 

タイトルは少々大袈裟かもしれませんが、
私は今回のラグビーW杯を見て、「人間」を見直そうと思いました。

会社員を辞めてフリーランスのITエンジニアになって、頼れるのは自分だけのような感覚で必死にやってきましたが、自分も他者との違いをどこかで拒絶していなかったか、違いを認めて1つになることから逃げていなかったか、色んなことを気づかされたような気がします。

大会を通して、海外から日本への賞賛も確かにあります。
でも、どんな国の人だって「おもてなしの心」は持っています。困っている人がいれば助けたい心も持っています。
決して日本だけが特別ではなく、人間であれば誰もが持っている心です。
人間である以上、心が弱っていれば道を踏み外しそうになります。だから助け合うことで出来るだけ皆が幸せに生きようとします。

 

昔から「正直者が馬鹿を見る」ような体験を何度かしてきたので、そんな自分に嫌気がさして、蓋をして生きてきた部分もあります。
でも、そんな事はどうでもいいかなと思えてきました。
誰かを助けたければ正直にそうしたい、困っている人がいれば周囲の声に惑わされず自分に正直に助けの手を差し伸べたい、そう思わせてくれた大会でした。

 

明日からもうW杯の試合が無いと思うと寂しいな。
次は花園の高校ラグビーをテレビ観戦しようかなと思っています。
札幌山の手高校頑張れ。

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