【札幌】北海道胆振東部地震発生から2日間の記録

 

断水対策で汲んだ水

北海道胆振東部地震。

生まれて40数年、このような地震を経験したのは初めてでした。
上の写真は断水に備えて汲んだ水。
後になって断水はデマだったことが判明したのですが。

私の住む地域は地震そのものの被害はありませんでしたが、
広域停電と食料調達に翻弄されました。
取り急ぎ、地震発生から2日間の体験をここに記録しておこうと思います。

 

【9月6日】

深夜3時過ぎ?地震の揺れとミシミシという音で目が覚める。
家族も続々と起きだす。次女はパニック。ガラス製品が階段に落ちて破片が散らばる。
どうやら縦揺れだったらしいが正直寝起きだったため覚えていない。
次女がダッシュで階段駆け下りようとするのを必死で停める。
ガラス片を踏んでいたらどうなっていたことか。

次女が揺れの怖さで泣き叫ぶので抱っこしていたが、
自分の腕もブルブルと震えていることがわかった。

地震がおさまり、あわててテレビをつける。震度6とか出てる。
千歳と安平あたりの被害がすごそうだ。
なんだこの地震は?今まで経験したことのない揺れ。

実家の母親から電話がくる。無事とのこと。
十数分して突然電気が消える。ここから停電の始まり。
とりあえずこのまま暗闇で起きていても仕方がない。
カーテンを開けて月の光を頼りにベッドまで移動し就寝。

月明りってこんなに明るかったんだと実感。余震でなかなか寝付けない。
未明にもかかわらず、車のヘッドライトの明かりが時折部屋の中に射し込む。
あれは食料品の買い出しに行っていたのかもしれない。

 

朝6時頃起床。
停電なのでテレビも見れない。照明もつかない。電気温水器も止まっている。
北海道全域が停電とのこと。何故だ?と苛立ちが増す。
まずは家にあるもので朝食を簡単にすます。
さて、これからどうしたものか。

そうだ、我が家には太陽光発電があることを思い出した。
ただ、放っておいても自家発電が開始されない。
マニュアルを見ながら、太陽光発電を自立運転に切り替えて、
パワーコンディショナーの機械についている非常用コンセントに電源タップを差し、
まずは冷蔵庫に電気を通す。冷凍庫の食材が溶ける前に通電して難を逃れた。
スマホ、ガラケー、タブレットも充電可能。

パワーコンディショナー横の非常用コンセント

 

電源タップの長さが届かないため家のテレビは見れず。
ガラケーのワンセグ放送でしばらく情報収集。
厚真町の土砂崩れの被害がものすごいらしい。。。
今まで北海道では見たことの無い光景だ。

とにかく食料品を調達せねば。
午前中はまず近所のスーパーで買い出し。すごい行列。
周辺の信号もすべて止まっている。道路を横断するのが怖い。
信号が動かないことの恐怖を初めて味わった。

家族4人で並んで結局2時間近く並んだ。
水、トイレットペーパー、パン、カップ麺などを購入。
ただ行列に並ぶだけでも体力を消耗する。

地震直後のスーパーの行列

 

家に帰って、まず空腹を満たす。
午後からは、家のWi-Fiの通信が途絶えてしまう。
Wimaxの通信サービスが停止したらしい。広域停電が原因のようだ。
ネットから情報を収集できなくなったのは痛い。

我が家は以前auひかりを使っていたが、利用料金を下げたくて
Wimaxに切り替えた。auひかりのままだったらもう少しマシだったのだろうか。
現時点ではよく分からない。

 

余震の怖さもあったが、とりあえず近所の状況を確認しようと
次女と一緒に徒歩で周囲を偵察することに。
もっとも次女は公園で遊びたかっただけなのだろうが。

いつもの公園に行くと、ぱっと見はそれほど被害はなさそう。
ただ木々をよく見ると、枝が折れかかってぶら下がっていたり、折れた枝が
地面に落ちていたりする。
おそらくこれは地震の前日の台風の影響だろう。
道路の街路樹の中には根元から倒れているものもあった。
自宅周辺は地震よりも台風の被害が多かったことがわかった。

ついでに近所のコンビニも見てみる。
弁当、パンなどはほど売り切れていて、飲み物も3分の1程度しか残っていない。
アイスは停電のため溶け始めている。
不思議だったのはPOSレジが1台だけ稼働していたこと。
自家発電設備があるのだろうか。

 

家に戻ると、離れて住む母親や弟にも、次第に連絡がつかなくなる。
電話をかけても、無言状態。何が起こっているのか全く不明。
ショートメールはかろうじて送れていたが、数時間後には
「センターに蓄積します」とのメッセージ。

すべては広域停電がもたらした影響なのだろうか。
ただ、母も弟も午前中は連絡取れたので、無事であることを願う。

幸い妻のスマホは不安定ながらネットにつながっていた。
知り合いとのLINEからも色々な情報が届く。

9月6日の夕方には断水になるとの情報が来た。
情報を精査する手段もなく、あり得ることなのでとりあえず
蛇口から水を汲めるだけ汲んでおいた。
(後で、この情報はデマであることが判明したのだが)

 

日没後の明かりは、家中のローソクとLEDランプをかき集めた。
とりあえず一晩乗り切れるくらいの準備は出来た。
17:30頃、早めの夕食を取る。

すると、給湯機器のモニターの液晶パネルが突然明るくなる。
あれ?と思いながら、ブレーカーをすべて上げると、
停電復旧!照明、テレビが点きはじめる。

どうやら給湯機だけブレーカーを落とし忘れていたらしい。
でもそれで電気の復旧に気づけた。

テレビが見られるのがこんなに便利なことだったとは。
災害時なので画面下の帯に様々な災害情報が流れてくる。
スマホの小さい画面で見るよりはるかに情報を得やすいと感じた。
テレビも捨てたもんじゃない。

しかし、この日は何だか疲れた。
電気が復旧したのでまだ起きていられたが、明日に備えよう。
次女と9時に就寝。ぐっすり寝る。余震で起こされることもなかった。

 

9月7日。
地震から2日目の朝。
母親と弟にはショートメールすら届かない。
心配なので、まずは母親の様子を見に行くことにする。

自宅周辺は信号が復旧していたが、
実家が近づくにつれ、消灯している信号が目立つ。
交差点はお互いの譲り合いだけが頼り。
警察官もいない。人手が足りないのだろう。
普段よりも緊張した状態で何とか実家に到着。

 

母親も一晩暗闇で過ごしたため不安だったようだ。
冷たい水を持っていくと喜んで飲む。

買い物も必要だし、母親のガラケーを充電させる必要がある。
まずは母親を車に乗せて自宅まで戻る。
母親は高齢(と言っても70代前半だけど)で体弱いので、
子供らと留守番させて、自分と妻で近所のスーパーに買いだし。
これがまた1時間半くらいかかる。

とにかく北海道全域停電のせいか、生鮮食品がすべてダメになっている。
買えるものは限定的だった。

カップ麺、インスタント麺、レトルトカレー、お菓子(パンに近いやつ)、コーンスープの素、果物などを購入。

母親はうちでテレビが見れるのが嬉しかったらしい。
みんなで昼ご飯を食べた後、少しゆっくりした後、
母親を実家まで送る。

 

実家につくと、まだ停電復旧せず。
実家の周囲で復旧している所は多いのに、実家のエリアだけが
停電しているとのこと。

不安にかられる母親の話をさんざん聞かされて、
さすがに日も暮れてきたのでそろそろ帰るわと言い、
窓を見ると信号が点灯している。
まさかと思い、ブレーカーを上げると照明がついた!
母親は両手を上げて大喜び。

停電復旧と母親の笑顔を確認し、自宅に戻った。
なんだか今日も疲れた。

その後、釧路に住む弟と札幌近郊に住む妻の実家からも停電復旧の知らせを聞き、
心底ホッとした。続けて、妻の実家からも停電復旧の知らせが入る。
身近な人達の生活の無事が確認できた。

風呂に入って、テレビを見ていたらいつの間にか寝落ち。
とにかく激動の2日間だった。

 

後で振り返ると、
東日本大震災や熊本地震に比べて、地震そのものの規模は
それほど大きくなかったらしい。
それなのに、北海道全域での停電が発生したことについては
大きな違和感を持った。

ただ、現実にこういう状況が起きてしまったからには、
次の災害に向けて準備しなければならない。
食料の備蓄、非常用照明と冬の災害に向けた非常用暖房の確保は
喫緊の課題だろう。

 

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